小 熊 座 句集 『海溝』抄 佐藤 鬼房
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    絵はがき 山田美穂さん提供         堀井春一カの旅舎で詠む




   句集   『海溝』抄 佐藤鬼房(自選)   昭和30年〜39年


      馬の目に雪ふり湾をひたぬらす

     干潟にて毛脛寒がる青年期

     雷落ちて青む夜駅に妻を待つ

     ペン割れて木枯のあと吼える海

     麦の芽の厚雪痛む子背に睡る

     ジープの疾さ山羊熱心に草を食べ

     濠の艀布団のぞかせ生きてゐる

     泥の浅利よいま叫ばねば鬱血す

     熱ごもる庄延の鉄桜咲く

     夜蛙や沿線に子を産
(な)して住む

     月の出の胃袋の湾暗きかな

     夕べ子が駈け星になる荒岬

     峡湾は暮しの歯型雪降り降る

     晩春の樅の孤立に日けぶれる

     凍るばらの木犬は鎖のなかで寝る

     ほそく響いて発射音梅雨あがりし夜

      
 入院昏睡の中で
     吾にとどかぬ沙漠で靴を縫ふ妻よ

     雪掘って鼻濡れし犬沖を見る

     優しい水嵩の夕映え子のために

     父の名の晩秋翳る裸岩






   あとがき     佐藤鬼房

   この句集は『夜の崖』(昭和三十年刊)以降十年間の、つたない私の記録で
  ある。
  句数五百二十余句。
   このたびの『海溝』上梓に際し、積極的に企画・造本その他全てを手がけてく
  れた坪内稔典・穂積隆文の両氏に、深く感謝申しあげる。

      

   昭和四十年十月俳誌「天狼」は異例の誌上句集として『海溝』三百三十五句を
  掲載。そのおり私は後記を次のように綴っている。
    −『夜の崖』以降十年間の作品をここに発表さしてもらう。句集代りのこうした
  形式もまた面白いだろう。保留とした約五百は、いつの日か再録したい。昭和二
  十九年に第三回現代俳句協会賞を受けたものの、爾来十二年、私は何を為した
  であろう。省みてわが鈍根を愧じるばかりだ。あいかわらず苦渋の生活諷詠にす
  ぎないが、この『海溝』一篇をもって、鬼房の第二期を終りたい。苦しかった十年、
  いかなる句が、いくぱくの句が残るであろう。私にはわからない。いや、それは私
  の関知せぬところだ。私は多くの善意の人々にこの『海溝』一篇を捧げたい。

                                     一九六五・八・一五 




  
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